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小笠原諸島

小笠原諸島(おがさわらしょとう、 : Ogasawara Islands、 : Iles d’Ogasawara)は東京都小笠原村にある群島です。世界自然遺産に登録されています。

都市[編集]

地図
小笠原諸島の地図

知る[編集]

父島・中山峠から見た小港海岸とコペペ海岸

小笠原諸島は、約30もの島から成り立っています。父島や、母島は有名です。

歴史[編集]

1543年スペイン船によって確認され、1593年信濃小笠原氏の一族を称する武士・小笠原貞頼が伊豆諸島南方で3つの無人島を発見と伝承される。1639年にはオランダ船が確認。1670年、紀伊国を出港した阿波国の船が母島に漂着する。その後、乗っていた7人は八丈島経由で伊豆国下田に生還し、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告される。1675年、江戸幕府は松浦党の島谷市左衛門を小笠原諸島に派遣し、36日間にわたって島々を調査。大村や奥村などの地名を命名した上、「此島大日本之内也」という碑を設置した。1727年、貞頼の子孫の小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求め、幕府に書を提出して訴え出る。それには父島、母島、兄島などの島名が記されており、各島の島名の由来となった。またこれ以降「ぶにんとう(無人島)」と呼ばれていたこれらの島々は小笠原島と呼ばれるようになる。しかし幕府は貞頼の報告を偽書と断定し、また貞任を貞頼の子孫ではないとして身分詐称の罪で処罰した。1779年、イギリス軍艦が火山列島を望見する。1785年には林子平の『三国通覧図説』に「小笠原島」という名称が記載せれる。

19世紀に入ると欧米諸国の捕鯨船が寄港するようになる。1827年、イギリス軍艦が父島に来航する。父島や母島を領有宣言したが、イギリス政府から正式に承認されなかった。1830年、白人5人と太平洋諸島出身者25人がハワイ王国から父島に渡来し、入植。これ以降、ハワイなどからの移住が始まる。1846年、出島のオランダ商館長が幕府長崎奉行に対し、小笠原諸島の占領を勧めるも実行に移されず。1853年、日本に向かう途中訪れたペリーが制定したピール島植民地規約に基づき、自治政府が設立される。

1862年幕府はアメリカから帰還したばかりの咸臨丸に小笠原を測量させ、居住者に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る。

1876年明治政府が小笠原島の日本統治を各国に通告(日本の領有が確定)。内務省の管轄となる。1880年東京府の管轄となる。1891年と1898年には硫黄島と南鳥島と合わせて小笠原庁の所管とする。太平洋戦争時には有名な硫黄島の戦いでの激戦の後アメリカ軍に占領され、戦後アメリカの管轄となるも1968年返還される。その後離島でありながら多くの人々の努力によってインフラ整備が進められ、テレビや電気が開通し、2011年にはついにインターネットサービスが開始された。

景観[編集]

亜熱帯植物や美しいビーチなどがみられる。

動植物[編集]

小笠原諸島は生物地理区の区分上、日本で唯一オセアニアに属している。また、形成以来ずっとほかの大きな島や大陸から隔絶していたため、島の生物は独自の進化を遂げており、「東洋のガラパゴス」とも呼ばれるほど、貴重で多種多様な動植物が多い。オガサワラオオコウモリやオガサワラノスリ、アカガシラカラスバト、ハハジマメグロなどの動物やムニンツツジ、ムニンノボタンといった植物といった独特の生物が生息する。人間が持ち込み野生化したヤギの食い荒らしや人間の開発などで多くは絶滅の危機にあり、保護が求められている。実際1972年、一部の島や地域を除き小笠原国立公園として、国立公園に指定された。さらに2011年にはユネスコ世界自然遺産に登録された。

気候[編集]

ケッペンの気候区分では、聟島列島・父島列島・母島列島・西之島が温帯に、火山列島・南鳥島・沖ノ鳥島が熱帯に属するが、温帯に属する地域は一般的に亜熱帯とされる。それに併せて海洋性気候にも属する。また年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は小さいが春から初冬にかけて台風が多数接近する。梅雨前線はこの地の北に現れ、太平洋高気圧の支配下となるため、北海道と同じく梅雨は無い。

著名な島・岩等[編集]

  • 父島列島 - 父島、兄島、弟島 、南島 他
  • 聟島列島 - 聟島、嫁島、媒島、北ノ島 、針之岩 他
  • 母島列島 - 母島、姉島、妹島、姪島 他
  • 火山列島(硫黄列島) - 北硫黄島、硫黄島、南硫黄島、福徳岡ノ場 他
  • 孤立した島々 - 南鳥島、沖ノ鳥島、西之島、中ノ鳥島

西之島などは活火山であり、1973年と2013年に噴火が観測されている。

また、南鳥島や沖ノ鳥島は無人であるものの観測所があり、それぞれの周辺200海里の海域は日本の排他的経済水域となって恩恵をもたらしている。

着く[編集]

父島、母島以外での島には一般観光客向けの交通機関は存在しない。

船で[編集]

東京港の竹芝と父島をおがさわら丸が結んでいる。

また、父島二見港から、ははじま丸がでている。

飛行機で[編集]

今のところ小笠原諸島と他の地域との便は存在しない。

移動する[編集]

観る[編集]

  • 1 長崎展望台父島
  • 2 扇池南島
  • 千尋岩(父島)
  • 乳房山(母島)

買う[編集]

食べる[編集]

小笠原諸島の島寿司。

固有の植物や海産物が多く採れ、島独自のコーヒー・ボニンコーヒー、海亀肉、島魚を使った焼き物・煮物・島寿司(島独自の寿司)・味噌汁・ピーマカ(魚の酢漬け、ビネガーの転訛)、パッションフルーツ・マンゴー・パパイヤ・グァバなど島でとれる果物を用いたデザートや果実酒など珍しい郷土料理がある。

飲む[編集]

泊まる[編集]

ホテル[編集]

  • 1 くつろぎの宿 てつ家
  • AQUA
  • パット イン
  • なぎ屋

キャンプ[編集]

安全を確保する[編集]

小笠原諸島には明治時代より警察が存在する。

健康を維持する[編集]

父島と母島にそれぞれ村営診療所があり医師と歯科医師がそれぞれ常駐している。問診のみならず、一般的な血液検査機器(自動血球計算器、自動生化学測定器など)および、超音波画像診断装置、上部消化管内視鏡、単純X線撮影装置、X線透視装置、ヘリカルスキャンCT装置が両島に配備されている。これは特に母島診療所においてこの規模の離島としてはほかの離島と比べて国内に類を見ない設備である。これを補完するために専門医による診療は定期的巡回診療の際に行われる。また本土から小笠原諸島へは非常にアクセスしにくいため、島内で急を要する重病が発生した場合は自衛隊や海上保安庁による搬送が行われる。診療所で対応困難な急病人が発生した場合は村役場からの連絡を受け、東京都知事が海上自衛隊に出動要請を行い、海上自衛隊硫黄島航空基地所在の救難ヘリコプターにより一旦硫黄島へ向かい、硫黄島から自衛隊や海上保安庁の航空機によって本土に搬送される。以前は小笠原のヘリポートに夜間照明が設置されていなかったため「夜間に発病すると手遅れ」とも言われていたが、現在は夜間でも搬送ができる。

出かける[編集]