知る
[編集]旧称は「稲荷神社」、稲荷山を神域とし、その麓に本殿があります。全国に3万社あるとされる稲荷神社の総本社となっていて、初詣の参拝者は日本国内第4位、近畿地方の社寺で最も多いと言われています(2010年時点)。
信仰の隆盛は平安時代の827年(天長4年)にさかのぼり、天皇の病気が治るように図って、個人の社であった稲荷大神に神階を与えます。巽(たつみ=東南方向)の福の神として人々が崇めました。この時代に仏教寺院を神社に附属させる制度(別当寺)が始まり、現在の東寺との関係が結ばれたとされます。
社殿の造営は908年(延喜8年)、やがて上七社という選ばれた神社の仲間入りをします。当時、伊勢神宮の参拝は天皇のみとされ、京から近い当社は多くの参詣者を集めて『今昔物語』にも記述があるほど人気が高まり、稲荷祭も下鴨の葵祭、八坂の祇園祭とならぶほどでした。『枕草子』には、山登りをして稲荷に参拝する苦労を述べていて、稲荷の祠(ほこら)は山の頂にあったと読み取れます。鎌倉時代には神と仏を祀る「神仏習合」が進みます。そして仏教系の伝承から狐に関する伝承が現れ、後に伏見稲荷の眷属(けんぞく)と見なされます。
応仁の乱が始まると、戦陣が置かれた稲荷社は負け戦に巻き込まれて山上の建物を含め、全焼しました。東寺も焼け落ちて別当寺として稲荷祭でさえ執行できないほどであったため、代わりに愛染寺をあてて諸国勧進という出張型の募金活動を重ねて復興に努めます。伏見城を築城した豊臣秀吉も母の病気を治してほしいと祈り、「命乞いの願文」が現存します。願いが叶うと現在の楼門ほか大規模な寄進を行ったことは、1973年の解体修理に際して願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見されて確認がとれました。江戸時代に幕府が置かれると徳川系の武士は仏教、稲荷神の崇敬は朝廷や町人、商人が守りました。
江戸末期の鳥羽・伏見の戦いで再び戦場となりかけたものの、戦乱が短期であったため、稲荷社の被害は軽く済みました。ところが明治政府は神仏分離・廃仏毀釈を決断、愛染寺を廃絶、境内にあった寺や仏堂は閉じ仏像も壊されたり損失しました。稲荷社は領地をすべて失い境内も4分の1に減らされて、現在も続くのは祭礼の時に東寺から届く供え物です。名称も「官幣大社稲荷神社」と改めます。
第二次世界大戦が終わると1946年(昭和21年)に宗教法人化、社名は「伏見稲荷大社」と改称。伊勢神宮の流れを主張する神社本庁に入らない、独立した単立宗教法人となり併存します。2011年(平成23年)に鎮座1300年を迎えました。ウィキペディアの伏見稲荷大社の記載も参考になるでしょう。
着く
[編集]鉄道で
[編集]- JR奈良線稲荷駅から徒歩 - すぐ
- 京阪電鉄京阪本線伏見稲荷駅 - 徒歩=5分
バスで
[編集]- 市バス伏見稲荷大社前 - 徒歩=7分
自転車で
[編集]PiPPAシェアサイクルを利用
- JR京都駅 - 自転車=12分
- 返却は京阪 伏見稲荷駅のそばにポートあり。 伏見稲荷から自転車で300m
観る
[編集]平安時代、明神が稲荷山におり立った和銅4年(711年)の2月壬午(みずのえうま)を記念し、初午(はつうま)大祭、また稲荷祭も平安時代に始まったとされます。祭事では稲荷の到着は「神幸祭」として旧暦3月の午の日に施行され、旧暦4月上の卯の日に旅立つ還幸祭までの手順を定めました。
境内は表参道の一の鳥居をくぐって楼門を抜けると、外拝殿(がいはいでん)と内拝殿(ないはいでん)が本殿へと一直線に並びます。本殿の右は稲荷神明水(しんめいすい)です。稲荷山の神蹟群と斎場は本殿の背後の山にあり、1万基の鳥居も山中にあって、千本鳥居もその一部です。「お山する」とは、この山域に点在する社や稲荷神の伝説の地を巡ることを指し、参道の数千の朱の鳥居をくぐります。
1月5日に御膳谷奉拝所で大山祭「山上の儀」を執り行い、古式の斎土器に中汲酒を盛り70枚を御饌石に供えます(中汲酒供奠)。大山祭に先立って当日の午前中に「注連張神事」を行なって、稲荷山七神蹟に注連縄を張ります。祭祀にあたる人々は「ひかげのかずら」を首にかけ、稲荷山の神蹟の巡拝に向かいます。およそ1ヵ月後、旧暦2月の初午(はつうま)の日に御塚大祭を執行します。この日は稲荷大神ゆかりの日として古来よりお山もうでが盛んです。火焚祭は11月28日。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 本殿、京都市伏見区深草薮之内町68番地。電話番号:(0)75-641-7331、ファックス:(0)75-642-215。 装飾には安土桃山時代へ進む武家の気風が現れます。大型の社殿建築であり、懸魚(げぎょ)にほどこした金覆輪、垂木の先端の飾り金具が金属光沢を放ちます。蟇股(かえるまた)という部材ほかに特徴があります。
- 権殿
- 楼門
- 南北回廊(南回廊)
- 南北回廊(北回廊)
- 奥宮 (おくみや)
- 白狐社、京都市伏見区深草藪之内町68 (稲荷駅出口から徒歩約3分)。
- 御茶屋。 非公開。創建は17世紀はじめとされる建て物で、書院造りから数寄屋造りへと変わる過程を示し、数少ない現存例です。羽倉延次(荷田 春満の祖先)は社家(しゃけ)として社を預かり宮中に出仕し、後水尾天皇からこの建物を授けられました。
京都市指定文化財
[編集]建造物
[編集]- 伏見稲荷大社松の下屋及び茶室
美術工芸品
[編集]- 紙本墨書伏見稲荷大社絵図 (しほん ぼくしょ ふしみいなり たいしゃ えず))。 境内を西から見た図(1589年)。神主であった大西継長(1530年-1614年)の作品です。当年に豊臣秀吉が始めた社殿修造の完成予想図と思われます。当社の近世初期の様子がわかり、秀吉の社殿修造を伝えています。
- 板絵著色繋馬図 (いたえ ちゃくしょく つなぎうま ず)。 長澤盧雪(ながさわろせつ)筆、松本愚山の漢詩。御幸町通安土町が伏見稲荷大社に奉納した扁額で、主題は大人しい表現の繋馬を繊細に描きました。七言絶句が画面に記され、制作は1796年でしょうか。蘆雪の交友範囲を示す最晩年の基準作です。
有形民俗文化財
[編集]- 稲荷祭山車「天狗榊」懸装品 (いなりまつり だし「てんぐ さかき」けんそうひん)。 女性や老人ほかの人物を配し、吉兆を象徴する動物や模様をデザインした織物。「天狗榊」という山車は、下京区花屋町通西洞院西入山川町が曳いてきた。この町はもともと伏見稲荷大社の氏子域で、稲荷祭の神幸祭のおりにお迎え提灯とした山車のひとつ。儀礼が明治24年に廃絶されたときに祭礼用の懸装品を伏見稲荷大社に献納して伝世した。作品自体の質も高く、江戸中後期の織技術の高さを示す。
名勝
[編集]- 伏見稲荷大社松の下屋
その他
[編集]- 荷田春満の旧宅 (かだの あずままろ)。 学問の神として信仰されてきた春満の自宅を保存。江戸時代の国学の大家。隣に東丸神社(あずままろじんじゃ)を祀る。
- 稲荷山 (いなりやま)。 京都の東側に続く低山を「東山三十六峰」と呼び、その最南端、海抜233mの霊峰。親塚の改修を示す裏面に1878年(明治10年)の日付と、「神蹟」という文字が刻まれている。稲荷山に残る「お塚」という石碑は、個人が自分の信じる神の名を彫りつけて稲荷山に納めたと伝わる。火焚祭は11月10日。
- 一ノ峰 (上社神蹟)。 稲荷山のは最高峰。
- 二ノ峰 (中社神蹟)。 青木大神として崇拝される。火焚祭は11月11日。
- 間の峰 (荷田社神蹟)。 三ノ峰と二ノ峰の中間、伊勢大神と崇められる。神域の入り口に「奴祢鳥居」(ぬねとりい)と称する石鳥居が建つ。鳥居の上部の横材と平行する部材(貫=ぬき)の中央にある額柱は、両側に合掌状の破風(扠首束=さすつか)を施してある。火焚祭は11月25日。
- 三ノ峰 (下社神蹟)。 白菊大神。ここから変形神獣鏡2面が出土し(明治20年代)、二神二獣鏡と変形四獣鏡は京都国立博物館で展示される。火焚祭は11月9日。
- 講務本庁、京都市伏見区深草藪之内町68。 全国各地の稲荷信仰者により組織された団体の事務所。稲荷神は元来の農耕に加え殖産興業の神として崇められる。伏見稲荷大社附属講務本庁として2012年4月1日に改組。
- 千本鳥居。 稲荷塗と呼ばれる塗装法では、社殿と同じ朱(あけ)で稲荷の鳥居を彩色。生命・大地・生産の力を連想させ、明るい希望の気持ちが込められており、稲荷大神に寄せる強い信仰を象徴する。すでに江戸時代、感謝の念の証として奥社参道に鳥居を奉納しはじめた。
- 奥社奉拝所 (奥の院、江戸時代は封戸所、供物所)。電話番号:(0)75-641-7331。 この社殿の背後に稲荷山三ケ峰が位置するお山を遥拝するところ。千本鳥居をぬけた通称「命婦谷」にある。社殿は1975年に現在の位置に移して前に拝所を設けた。
- おもかる石、京都市伏見区深草石峰寺山町43 (稲荷駅出口から徒歩5分)。 願い事の成就可否を念じる試し石。奉拝所の後ろに立つ石灯篭1対の笠石の上の丸い石を持ち上げる。自分の予想より軽いと願いは叶い、重いと叶い難いという。
- 熊鷹社 (新池、谺ケ池(こだまがいけ))、京都市伏見区深草開土口町。 池に石積みを突き出して設けた拝所に、熊鷹大神を鎮める。言い伝えでは行方不明者の居場所を探すなら、池に向かって手を打つという。手がかりは、こだまが返ってきた方向にあると伝わる。例年11月17日に火焚祭を執り行う。
- 御劔社 釼石 (長者社神蹟)、京都市伏見区稲荷山官有地16 (本殿から徒歩およそ1時間)。 山上古図に釼石(雷石)と記される神蹟で、古くから神祭りの場であったと推定される。左に伝わる井戸を「焼刃の水」と呼ぶ。謡曲『小鍛冶』で三条宗近が名刀小狐丸を鍛えたと語られる場面を連想させる。火焚祭は11月6日。
- 御膳谷奉拝所 (御前谷)、京都市伏見区稲荷山官有地21-15。 かつて三ヶ峰に供え物をした神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)を置いたと伝わる聖地。3つの峰の渓谷が収束する要の場所では、「大山祭 山上の儀」を毎年1月5日に斎行。稲荷山三ヶ峰の背後の北にあたる。 値段:初穂料は年額9600円、18000円の2種。
- 清滝 (清瀧) (御膳谷奉拝所から北へおよそ200メートル坂を下る)。 東西に通じる山道がこの裏を通り、川沿いに西へ進むと北谷経由で東福寺・泉涌寺へ。火焚祭は11月12日。
- 荒神峰 (田中社神蹟)、京都市伏見区稲荷山官有地。 尊称は権太夫大神。150基超のお塚(石碑)が並ぶ。神蹟の後方は、四辻とうって代わり景観が開ける。京都市の中心部以北の眺望が広がり、稲荷山十二境図詩に示す「孤巒返景色」(孤独な山の風景)に最もふさわしい。荒神峯とも。火焚祭11月13日。
- 御幸奉拝所 (御幸辺(みゆきべ))、京都市伏見区稲荷山官有地。 昭和38年に開かれた神域で、横山大観の筆塚があり黒竹に囲まれる。尾根道は平安の頃よりお山参詣の重要な経路。火焚祭は11月26日。
- 荒神峰見晴台 (鳥羽街道駅出口から徒歩約20分。東福寺駅出口から徒歩約25分。伏見稲荷駅2番出口から徒歩約27分)。
- 展望台、京都市伏見区稲荷山官有地612。
する
[編集]初詣
- 御日供奉献者。 御饌(みけ)を神に供える係を1年以上続けて担当。毎年1月14日の特別崇敬者安全隆昌祈願祭に案内を受ける。
- 二月初午大祭。 神迎えを行う。
三祭
米山 敬子「伏見稲荷大社の祭祀と歌謡 稲にまつわる祭祀を中心に」による(『日本歌謡研究』55巻(2015年、13-24頁)。
- 水口播種祭 (みなくち はしゅさい)。 三祭の1番目。4月12日。
- 田植祭。 6月10日。三祭の2番目。
- 抜穂祭 (ぬきほさい)。 三祭の3番目、10月25日。神田の稲を収穫し、新嘗祭の準備をする。
- 火焚祭 (ひたきさい)。 神送りをする。11月8日。「抜穂祭」の稲藁を焚き上げる。
- 御神楽 (みかぐら)。 毎年11月8日に行われる。
食べる
[編集]- 稲荷茶寮、京都市伏見区深草薮之内町68 伏見稲荷大社 (稲荷駅出口から徒歩約6分)。電話番号:(0)75-286-3631。 八島ヶ池のほとりに設けられた休憩所「啼鳥菴」(ていちょうあん)にある。テラス席併設。 営業時間:11:00-15:30(15:00閉店)定休日は水曜、12月31日。 値段:昼 2,000円。宇治抹茶千寿セット1,300円。ほうじ茶ティーバッグ540円。
- KAFE INARI、京都市伏見区深草稲荷御前町20 (稲荷駅出口から徒歩約5分)。電話番号:(0)75-643-5217。 営業時間:9:30 - 17:30。 値段:夜 1,000円。昼 1,000円。レモネード700円。五穀豊穣の紅葉コース4,000円。
- 大薮茶亭、京都市伏見区深草石峰寺山町43-9。 値段:袋菓子200円。冷やしあめ400円。冷やし甘酒450円。
- 三徳亭、京都市伏見区稲荷山官有地9。電話番号:(0)75-641-4630。 値段:いなり寿司700円。きつねうどん・いなり寿司セット1,000円。抹茶最中アイス300円。甘酒450円。御酒 熱燗400円。瓶ビール 中瓶700円。缶ビール500円。缶ジュース350ml 180円、500ml 200円。