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Travel news 2024#01

通算33号:2024年1月5日発行

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モロザーリアにあるパオリの銅像
コルシカ島は非常な激動の歴史を持っています。古代から先住民と外来の支配者で分かれており、フォカイア・エトルリア・カルタゴなどがコルシカ島の覇権を争いました。その後ローマ帝国による支配となりましたがローマの東西分裂により再び情勢が不安定になり、海賊勢力の襲撃が多く起きます。これは11世紀ごろまで約5世紀にわたって続き、島ではこれを「暗黒時代」と呼んでいます。コルシカ島の独特の文化は、この暗黒時代に海賊の襲撃を恐れて山間部での自給自足の生活をしていたことに始まると言われています。
中世に入り、ピサ・ジェノヴァの2つのイタリア都市国家がコルシカ島を支配するようになります。ローマ教皇の命で11世紀にピサが統治しますが、ジェノヴァが城塞都市を建設するなどして徐々に島を占領していき、13世紀には島全域のジェノヴァの支配が固められます。現在コルシカ島にあるコミューンはそのほとんどがジェノヴァ時代に作られたものであると言われています。しかし、ジェノヴァの支配は過酷で、島民は幾度も反乱を起こしました。特に、16世紀にあったサンピエロ・コルソの反乱は著名で、これもジェノヴァによって鎮圧されました。
1729年、反乱を起こした一部農民をきっかけに、コルシカ独立戦争(Les Guerres d'independance corses | 別名 : コルシカ革命)がはじまります。この戦争は結局40年間も続くこととなったのですが、その間に独立戦争の相手は変わります。即ち、鎮圧できずに手を焼いたジェノヴァは、フランスに一定期間コルシカ島を預けるという内容のヴェルサイユ条約を結び、コルシカ島にはフランス軍が侵攻するのです。それに対して1755年、フィリッポ・アントーニオ・パスクワーレ・ディ・パオリ(Filippo Antonio Pasquale di Paoli)によってコルシカ共和国が誕生し、1768年ボルゴの戦いでフランス軍を破ります。しかし、1769年ポンテ・ヌオーヴォの戦いに於いてフランス軍の圧倒的兵力を前に屈服し、パオリはイギリスに亡命するのです。これ以降コルシカ島はフランス領として引き継がれています。
-- 「コルシカ島#歴史」令和6年1月5日 (金) 16:44の版より
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