厳島神社(いつくしまじんじゃ | 正式名称 : 嚴島神社)は、日本の広島県廿日市市にある神社。世界遺産に登録されている。当神社の存在する島、厳島は「安芸の宮島」の通称でも有名である。
知る
[編集]歴史
[編集]西暦593年(飛鳥時代)に豪族・佐伯鞍職が市杵島姫命(イチキシマヒメ)を祀る社殿を創築したことに始まるといわれている。また、「厳島」という名前自体も市杵嶋姫命の名前に由来するといわれている。1168年、平清盛によって寝殿造という貴族の邸宅の様式を用い、現在と同じ規模の社殿がたてられ、平家の隆盛とともに栄えた。なお、このころに平氏の氏神となっている。
1207年(鎌倉時代)、当神社は大火災に見舞われ、さらに1223年にも大規模に焼け、これによって建造物全てを焼失、現存する建物群は仁治年間(1240年−1243年)に、平安や鎌倉の創建時の姿に再築されたものである。
戦国時代の1555年に毛利元就は厳島の戦いによって厳島とその周辺を治めると当社を崇敬し、建物群の大規模な修復を行っている。動乱で衰えていた社勢も再び栄え、室町時代(1407年)に五重塔と多宝塔(1523年)がたち、安土桃山時代(1587年=天正15年)には豊臣秀吉が千畳閣(大経堂)を寄進した。江戸時代に能舞台(1680年)が築かれるころには厳島詣が盛んで、当社周辺は多くの参拝客でにぎわった。民衆にとっては伊勢詣や四国遍路とともに、西国(さいごく)の代表的な参詣先として広まった。
明治時代に入り神仏分離令によって社殿の焼却を命じられると、棚守(さくもり)の直訴が認められて焼き払いは免れたものの彩色がすべて落とされた。1871年、千畳楼を末社の豊国神社に分離して五重塔を移管し、1875年には大鳥居を再建した。近代社格制度によって国幣中社に指定され、大正時代の1911年には官幣中社へと昇進している。
昭和時代には第二次世界大戦を挟み、戦前(1929年)に神社の背景に広がる弥山(みせん)の原始林を国の天然記念物に指定され、戦後(1952年)に主要な建造物(国宝もしくは国指定重要文化財)と島そのもの(左記地域外を国の特別史跡および特別名勝)、神社前面の海域(国の特別史跡および特別名勝)、また弥山の山頂に近い原始林(国指定天然記念物)にそれぞれ指定を受ける。平成後期の2010年1月に本社本殿ほか国宝、国の重要文化財に指定された。
世界遺産
[編集]1996年、ユネスコ文化遺産に登録された。海上に建ち並ぶ建造物群と背後の自然の一体感のある景観と、平安や鎌倉など火災で失われた建物群を忠実に再現し文化の流れを保つ歴史資料として、また人類の創造的な才能を表す傑作であり、生きた伝統や思想や信仰を伝えると評価を受けた(文化庁文化遺産オンラインより)。
2001年(平成13年)には「世界文化遺産貢献の森林」として、宮島国有林を当神社などの修復に欠かせない檜皮(ひわだ)や木材を産出する場所に認定する。
構成する遺産は2つあり、建築物群(厳島神社と関連物件)と、環境(厳島神社前面の海および背後の弥山原始林(みせんげんしりん)を含む区域)である。さらに外から世界遺産へおよぶ影響を受け止めて防ぐ緩衝(かんしょう)地帯も線引きされ、海面は宮島町の長浜小名切り突角から大字大西町水晶山北部突角を見通す線内、陸上は全島から遺産範囲を除いた地域である。
遺産
- 本社本殿・弊殿・拝殿等17棟・大鳥居・五重塔・多宝塔3基からなる建造物群
- 神社の正面が面する海面、背後の山
指定面積
- 構成資産は 431.2 ha(島全域の約 14 %※)
- 緩衝地帯は島全域の合計 2,634.3 ha※
- (※=宮島観光協会)
観る
[編集]自然を崇拝し、ご神体である山を切り崩さないように、遙拝所(ようはいじょ)を山裾の海岸に置いた当神社は、日本の社殿建築に一般に見られる形式として唯一無二の景観を構成し、日本人の美意識の手本となる(宮島観光協会※1)。その様子に日本人の精神文化が映され、目に見えないものを理解する重要な手がかりとなる。
建物のうち国宝6棟※、国指定重要文化財は11棟・3基※である。
- (※1=宮島観光協会)
国宝
[編集]国宝の指定は2010年1月である(文化庁文化遺産オンラインより)。
厳島神社 本社(広島県廿日市市宮島町)
- 本殿(ほんでん)、幣殿(へいでん)、拝殿(はいでん)
- 宗教建築、本殿=室町(1571)、幣殿=鎌倉(1241)、拝殿(1241)
- 祓殿
摂社(せっしゃ)客神社
- 本殿、幣殿、拝殿
- 宗教建築、鎌倉(1241)
- 祓殿(はらえどの)
- 宗教建築、鎌倉(1241)
廻廊(かいろう)(東廻廊)
- 宗教建築、安土・桃山(1558-1615)
廻廊(西廻廊)
- 宗教建築、安土・桃山(1563−1602)
紫綾威鎧〈大袖付〉(むらさき あやおどしの よろい〈おおそでつき〉)
- 工芸、鎌倉(特別公開)
- 材質・構造・技法:平札黒漆塗、哲革札一枚交じり、威毛麻布心、紫地小葵文綾包後補。
- サイズ:胴高68.2、大袖高43.0(cm)
古神宝類
- 工芸、平安※2 (特別公開)
- ※2=太刀箱(たちばこ)、小唐櫃(こからびつ)(1183)
国指定重要文化財
[編集]当神社の建造物ほか11棟3基は、2010年1月22日に国により重要文化財に指定された。大国神社本殿、豊国神社(本殿・宝蔵)、反橋、能舞台、大鳥居、多宝塔、五重塔などである(文化庁文化遺産データベースより)。
朝坐屋
- 宗教建築、安土・桃山(1615-1660)
能舞台
- 建造物、江戸(1680)
揚水橋
- 建造物、安土・桃山(1573-1614)
長橋
- 建造物、安土・桃山(1573-1614)
反橋(そりはし)
- 建造物、室町(1557)
大鳥居(おおとりい)
- 建造物、明治(1875)
摂社大国神社本殿(せっしゃ だいこくじんじゃ ほんでん)
- 宗教建築、室町(1467-1572)
摂社天神社(せっしゃ てんじんしゃ)本殿
- 宗教建築、室町(1556)
五重塔(ごじゅうのとう)
- 宗教建築、室町(1407)
多宝塔(たほうとう)
- 宗教建築、室町(1523)
末社荒胡子神社本殿(まっしゃ あらえびすじんじゃ ほんでん)
- 宗教建築、室町(1441)
末社豊国神社本殿(まっしゃ とよくにじんじゃ ほんでん)(千畳閣)(せんじょうかく)
- 宗教建築、安土・桃山(1587)
摂社大元神社本殿(せっしゃ おおもとじんじゃ ほんでん)
- 宗教建築、室町(1523)
宝蔵(ほうぞう)
- 宗教建築、室町(1393-1466)
2010年以前の重要文化財指定の財物は次のとおり。公開期間は事前に問い合わせるとよい。
能装束〈紅地鳳凰桜雪持笹文唐織〉(べにじ ほうほう さくら ゆきもちささもん からおり)
- 工芸、安土・桃山
- サイズ:身丈138.0、裄(ゆき)65.5、袖丈50.5 袖幅30.0、衿幅(えりはば)14.0(cm)
- 重文指定:1970年5月25日
- 唐織(からおり)という技法を使った3重の綾織(あやおり)で、紅、白、水色、藍、紺、濃紫、萌黄(もえぎ)などの絵緯(えぬき)で模様を織り出してある。裏は絹の平織物で、薄桃色(うすももいろ)。
伊都岐嶋社内宮(いつくしましゃ ないくう)調度等注進状草案〈(嘉禎三年三月)〉(ちょどとう ちゅうしんじょう そうあん〈かてい3ねん3がつ〉)
- その他の美術、鎌倉
- 重文指定:1979年6月6日、国宝・重要文化財(美術品)
- 神社の内宮の建築は、鎌倉時代の嘉禎年間(1235−1238)にはじまる。調度品や法具のほか、舞楽に使う面や装束や楽器など、品物の準備も進んだ。それらの品物の明細書を下書きした文書である。神社の社会的な地位を推定させ、美術と建築の資料でもある。
能装束 紅浅葱地菊笹大内菱文様段替唐織(のうしょうぞく べにあさぎじ きくささおおうちびし もんよう だんがわり からおり)
- 重文指定:2006年6月9日
- 工芸、安土・桃山(1501-1600)
- サイズ:前丈135.0、裄66.5、袖幅31.0、袖丈61.5、襟幅(えりはば)13.5(cm)
- 能が流行した初期の能装束と考えられる。袷(あわせ)じたてで紅色をベースにいろいろな糸を使い、桃山時代の特徴的な絵緯(えぬき)の技法を使っている。
- 神社に伝わる文物を一般公開。
出かける
[編集]林家住宅(はやしけ じゅうたく※3) 広島県廿日市市宮島町滝町235番地
厳島神社の神官を古くから勤めた宮島三家のひとつで、家屋も土地も重要文化財。公開の日時は事前に問い合わせるとよい。
- 主屋(おもや)
- 住居建築、江戸。居室部(1703頃)、座敷部(1751-1829)
- 重文指定:1978年1月21日
- 主屋の正面は神職の家(社家)にふさわしいデザインを見せ、古い時代に建てられ、社家で現存する貴重な例である。石垣や庭園、敷地内の土地の用途の区分も保存される。
- 表門(おもてもん)
- 住居建築、江戸(1703)
- 幅1間(いっけん)と小さい。様式は正統な薬医門(やくいもん)。
- (※3=広島県教育委員会公式サイトより)
- 江上家という江戸から明治に栄えた豪商の保存建物と、新築した展示館で構成される。島の歴史と暮らしを展示する。
宮島伝統産業会館(みやじまん工房)
- 体験型観光施設。杓子(しゃもじ)づくりや、もみじ饅頭(まんじゅう)の手焼きを体験できる。
宮島ロープウエー
- 厳島神社のご神体である弥山(みせん)にのぼる。
写真
[編集]- 境内
- 大鳥居と社殿
- 五重塔