コンゴ民主共和国(英語:Democratic Republic of the Congo、フランス語:République Démocratique du Congo)は、中央アフリカで最も面積が大きく、最も人口の多い国であり、世界最大のフランス語圏の国でもあります。
この国は、北西の隣国であるコンゴ共和国と区別するために、コンゴキンシャサとも呼ばれます。
コンゴ民主共和国への旅行は、冒険好きな旅行者に良いでしょう。手付かずの荒野や、動物、火山、世界で 2 番目に大きい熱帯雨林と言われているコンゴの熱帯雨林を探索できます。
ただ、この国は 1960 年代から流動的な状態にあり、世界で最も開発が遅れています。ベルギーからの独立後、カタンガ地方の独立運動などもあります。最も貧しい国の 1 つです。この国は、極度の貧困、高水準の汚職、政情不安に苦しんでおり、世界で最も効果的に統治されていない国の 1 つと見なされることがよくあります。ただし、この広大な国には、冒険好きな旅行者に提供できるものがたくさんあります。
不安定な国にいることに伴う問題に対処する準備ができていない場合は、コンゴ民主共和国に旅行するべきではありません。ですが、この国には大きくて多様な国です。非常に親切で陽気な人々に会うことができます。先住民の多様な文化や壮大な自然もあります。準備ができている人は、この国に旅行してみるのも良いでしょう。
地域
[編集]都市
[編集]知る
[編集]コンゴ民主共和国 | |
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コンゴ民主共和国の旗 | |
人口 | 105,789,731人 |
面積 | 2,344,858 平方キロメートル |
言語 | フランス語 |
通貨 | コンゴ・フラン |
電気のプラグ | ユーロプラグ, 家庭用交流電源のプラグとソケット (イギリス式), タイプE |
国際電話番号 | +243 |
時間帯 | UTC+1 |
緊急電話番号 | 113番(消防本部) 114番(警察) 118番(警察) |
車両の通行側 | 右 |
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歴史
[編集]この地域は先住民が住んでいました。14世紀にコンゴ王国が成立しました。当時は現在のコンゴ共和国・ガボンも含めた地域でした。15世紀にポルトガル人がコンゴ川の河口に到達し、コンゴ王国にもポルトガル人がやってきました。1485年にはコンゴ王国とポルトガル王国の国交が結ばれ、両国の対等な関係が承認されました。キリスト教の宣教師も布教を開始しました。
1491年にはコンゴ王はカトリックに改宗し、洗礼を受けました。また王子ンジンガ・ムベンバにも改宗させ、ポルトガルへ留学させました。
1506年にアフォンソ1世(ンジンガ・ムベンバ)が即位しました。ヨーロッパ留学を経験していた彼はポルトガル語を学んで積極的に欧化政策を採りました。しかし、そのころポルトガル商人による奴隷貿易が始まりました。アフォンソ1世はポルトガル王に奴隷貿易の停止を求める書簡を送ったが、ポルトガル国王は国益のためにこの書簡を無視し、その後コンゴ王国はアフリカにおける奴隷貿易の中心地となっていきました。
1545年にアフォンソ1世が没すると、コンゴでは反乱が相次ぎ、奴隷貿易とキリスト教の布教、そしてポルトガルの干渉によってコンゴ王国は徐々に力を失っていきました。
コンゴ王は事態の収拾のためにポルトガル軍の派遣を要請。ポルトガルからもたらされた銃火器によって反乱は鎮圧され、実力を回復したコンゴ王はポルトガル国王への忠誠を誓わされ、以後コンゴ王国はポルトガルの属国となりました。
1641年に即位したガルシア2世はオランダとポルトガルの対立を利用して独立の維持を図り、この政策は功を奏してコンゴ王国は中興を遂げましたが、ガルシア2世の死後、王位継承の混乱に乗じて1665年にアンゴラからポルトガル軍が侵攻し、最新の軍事技術を前にコンゴ王国軍はポルトガル軍に敗れ、ガルシアは戦死しました。国王アントニオ1世は処刑されました。
アントニオに後継者がいなかったため、コンゴは内戦状態に陥りました。コンゴ王国はその後も名目上のみ存続しましたが、やがてアフリカに進出を急いでいたベルギーが探検隊を送り込み、1885年にベルギーとポルトガルとフランス[1]で分割されることが決まり、コンゴはベルギーの植民地となり、コンゴ王国は滅亡しました。
コンゴはベルギーの国王、レオポルト2世の私有地「コンゴ自由国」とされました。初めはレオポルド2世は鉄道を建設するなどコンゴの近代化を推進しましたが、やがて圧政を敷きました。現地住民は象牙やゴムの採集のため強制労働させられ、規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が行われました。国際的に非難を受けたため、1908年、ベルギー政府は国王からコンゴを買い取り、コンゴはベルギー領コンゴとなりました。
1950年代後半から独立運動が活発になり、1960年6月30日にコンゴ共和国(1964年、コンゴ民主共和国に改称)としてベルギーから独立を果たしました。ベルギー政府はなおも政治に介入し、内乱が発生、「コンゴ動乱」が始まりました。2週間もたたずカタンガ地方で部族の独立を図った指導者モイーズ・チョンベが「カタンガ共和国」の独立を宣言しました(のち滅ぼされた)。
1965年、モブツ商務・雇用・貿易相がクーデターで権力を掌握しました。彼は1971年に国名をザイール共和国 (République du Zaïre) に改め、独裁政治を敷きました。 1977年3月8日、第一次シャバ紛争、1978年5月11日、第二次シャバ紛争、1978年5月18日、コルヴェジの戦い、というように内戦が続きました。
1990年4月、民主化要求の高まりを受け議会は11月に複数政党制への道を開く憲法修正案を可決。12月、任期2期を満了したモブツ大統領が3選を禁止した憲法条項を無視し辞任を拒否しました。
1997年5月の第一次コンゴ戦争ではアンゴラがザイールに出兵し、キンシャサを制圧してモブツ政権は崩壊しました。国名はザイール共和国からコンゴ民主共和国に変更されました。カビラ大統領は司法権を除く全権を自身に付与することを発表するなど、強権支配体制を敷き、その後も戦争や紛争が続きました。ようやく民主化できたのは2000年代でした。いまも紛争・虐殺・略奪・強姦が頻発しています。
気候
[編集]気候は全般的に高温多湿で、赤道直下にあり、熱帯気候です。熱帯モンスーン気候(Am)や熱帯雨林気候(Af)の地域が多いです。非常に雨が多く、雷が地球上で最も多いことで有名です。年間降雨量は場所によっては2,000ミリを超えることがあります。夏場にはほとんどの日が30℃台に達します。
民族
[編集]コンゴ民主共和国には、人口の40%を超えるコンゴ族・モンゴ族・マンベツ族・アゼンデ族・ルバ族を含む、200の部族が存在しています。
祝日
[編集]- 1月 1日 - New Year's Day
- 1月 4日 - Martyrs Day
- 移動祝日コンプトゥスに基づく - 復活祭
- 5月17日 - 解放記念日
- 6月30日 - 独立記念日
- 8月 1日 - 両親の日
- 11月17日 - 軍隊の日
- 12月25日 - クリスマス
- 12月30日 - 聖パウロの日
着く
[編集]飛行機で
[編集]鉄道で
[編集]移動する
[編集]船で
[編集]数千キロの航行可能な水路が存在し、伝統的に水上交通は国の移動の約2/3を占めています。
話す
[編集]公用語はフランス語ですが、スワヒリ語、コンゴ語、リンガラ語、ルバ語、英語等が話されています。国内には約242の言語が存在し、地域や部族によって大きな差があります。
基本的に国内のどの人々もフランス語の基礎知識を持っており、首都・キンシャサと国の西部地域では、フランス語が非常に流暢です。しかし、しばしば地元の人がリンガラ語を話すのが聞こえるでしょう。東半分ではスワヒリ語が主要であり、コンゴ語やチルバ語(日本語ではしばしばルバ語)も使われています。他にも小規模な地域でローカル言語が話されている例は多くあり、242の言語をマスターすることはまず不可能です。現地の言語は、隣国と同じようにバントゥー語群に属しています。アンゴラに近い南西の国境へ旅行している場合、ポルトガル語も耳にするでしょう。
観る
[編集]世界遺産
[編集]- ヴィルンガ国立公園 - (1979年、自然遺産)
- ガランバ国立公園 - (1980年、自然遺産)
- カフジ=ビエガ国立公園 - (1980年、自然遺産)
- サロンガ国立公園 - (1984年、自然遺産)
- オカピ野生生物保護区 - (1996年、自然遺産)
買う
[編集]通貨は「コンゴ・フラン」です。1コンゴフランは約0.7円です(2023年4月現在)。
食べる
[編集]詳細は「コンゴ民主共和国料理(フランス語版wikipedia)」を参照
- フフ(fufu・foutoa)。芋類を臼で破砕して湯で練ったもの。
飲む
[編集]泊まる
[編集]- 1 プルマン キンシャサ グランド ホテル (Pullman Kinshasa Grand Hotel)。電話番号:+243 858 000 111。 屋外プールやレストランのあるキンシャサ随一のホテルです。 値段:¥35,735。
学ぶ
[編集]- キンシャサ大学
- キサンガニ大学
- ルブンバシ大学
働く
[編集]安全を確保する
[編集]コンゴ民主共和国の治安は不安定な状態です。国家の混沌が今も続く為、安易に街中を巡ることは危険性が高く、推奨されません。外出時には常に注意すべきです。孤児によるひったくりやスリ、「クルナ」と呼ばれる不良暴力集団による殺人、強盗、恐喝事件等が多発しています。特に夜間は、武装グループによる民家や車両を狙った強盗などの凶悪事件も多発しており、中には軍人や警察官が加害者になるケースもあります。また、警察官等を装った詐欺などの犯罪も頻発しています。治安の悪い国ならではの詐欺手口です。キブ地方などでは武装勢力により地元住民の虐殺、誘拐などの非人道的行為も行われています。コンゴに旅行する場合は非常に警戒が必要です。
在日コンゴ民主共和国大使館公式サイトも参照してください。
健康を維持する
[編集]エボラ出血熱やマールブルグ病などの致死率の高い感染症が流行しています。途上国ゆえに医療技術は脆弱であり、警戒が必要です。
また、マラリアなどのリスクも多いです。マラリアについては予防薬などが存在します。コンゴを含む熱帯地域に旅行する場合は服用することをお勧めします。
繋がる
[編集]インターネットドメインは「.cd」です。
脚注
[編集]- ↑ これにより、コンゴ民族は分裂することとなりました。