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おくのほそ道

「おくのほそ道」は、有名な俳人である松尾芭蕉の最も有名な作品です。

日本東北地方を巡り、そこで作られた俳句が綴られている旅行記です。

知る[編集]

史上最も有名な旅行記の1つである「奥の細道」は、日本の芸術と東北を訪れる旅行者にインスピレーションを与え続けています。また、芭蕉が訪れた場所ではその芭蕉の俳句や考えを尊敬し続けています。

芭蕉の時代、そこは日本の奥地でした。農民たちはわずかな生計を立て、山賊や仙人が徘徊していました。芭蕉は自分を待ち受ける危険を十分に承知しており、二度と戻れないことを十分に覚悟し、家を売って遺言書を作成しました。

芭蕉の作品を読むときは、彼が通ったルートや見た景色について、少なからず詩的で自由な考えを取り入れていることに注意することが重要です。彼は弟子の曽良と一緒に旅をしました。曽良による事実に基づいた日記によってルートの再現ができています。

着く[編集]

旅の出発点は日本の首都、東京です。旅の最初の区間は大部分が都市部であるため、多くの人は直接仙台(地点18)に向かい、そこから旅を始めます。日光へ迂回する場合もあります。

移動する[編集]

芭蕉が通った旅程は次のとおりです。

地点は現代の地名を使い、近隣の主要都市を括弧内に示します。

地点1~2:巣鴨(東京)

芭蕉は上野と谷中に別れを告げ、東京の下町の中心から出発します。

地点3:草加
地点4:室野屋島
地点5:日光
地点6~9:那須(黒羽・雲巌寺・殺生石)
地点10:白河
地点11:須賀川
地点12:安積
地点13:しのぶ
地点14:佐藤庄司
地点15:飯坂
地点16:笠島
地点17:武隈
地点18:仙台
地点19:壺の石踏(多賀城
地点20:塩竈
芭蕉が選んだ、ここで船に乗って松島に向かうというルートは、今でも高い人気を誇っています。
地点21:松島
ごつごつとした松島は日本三景の一つに数えられています。
地点22:石巻
地点23:平泉
かつては京都に匹敵する栄華を誇った都市でしたが、今日の平泉には、2つの有名な寺院と、芭蕉がここで詠んだ喪失を嘆くいくつかの有名な俳句以外にはほとんど何も残っていません。
地点24:出羽越(鳴子)
この時点で芭蕉は青森まで北上するという当初の計画を断念し、山を越えることにしました。鳴子は今、人気の温泉地です。
地点25:尾花沢
地点26:立石寺(山形領山寺)
立石寺は文字通り、山腹をくり抜いて造られているため、通称「山寺」と呼ばれています。
地点27:大石田
地点28:最上川(山形県
地点29~30:羽黒山・月山(出羽三山)
出羽三山は、修験道の中心地です。なお、芭蕉は羽黒山と月山しか訪れていません。3番目の湯殿山には辿り着けませんでした。
地点31:酒田
地点32:象潟
地点33:越後(新潟
越後国は現在の新潟県です。
地点34:市振
地点35:金沢
地点36~37:小松
小松市で芭蕉は、那谷寺を訪れました。那谷寺は今でも多くの日本人が訪れる有名な寺院です。ただし外国人観光客はほとんどいません。
地点38:大聖寺
地点39:松岡
地点40:福井
地点41:敦賀

敦賀では、芭蕉は有名な気比神社を訪れ、満月を観察するために金ヶ崎に滞在しました。彼は金ヶ崎のふもとにある金禅寺で、この寺の有名な鐘について俳句を詠みました。

地点42:色ノ浜
地点43:大垣

安全を確保する[編集]

芭蕉はアイヌの山賊を恐れました(しかし遭遇しなかった)。現在はアイヌの山賊はとうの昔に消え去っており、代わりにこの旅行で最も危険なのは悪天候と登山です。

出かける[編集]

終点は東海道新幹線の停車駅である名古屋から鉄道で30分の大垣です。名古屋には中部国際空港があります。大垣は関西からもそれほど遠くなく、東京までは数時間で戻ることができます。

芭蕉が生まれた伊賀や、1694年に芭蕉が亡くなった琵琶湖畔の大津に寄り道してみるのもよいでしょう。芭蕉は同市の小さな寺院、義仲寺に埋葬されています。