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バリ島

バリ島(ばりとう |  : Bali)は、インドネシアジャワ島の東にある島で、「神々の島」として知られています。山岳地帯、険しい海岸線と砂浜、青々とした棚田と不毛の火山丘陵が織りなす多様な風景は、そのカラフルでスピリチュアルでユニークな文化に絵のような美しい背景を与えてくれます。バリ島の文化的景観は、ユネスコ世界遺産のリストに登録されています。

世界クラスのダイビングやサーフィン・スポット、自然、文化、歴史的なアトラクション、豊富な宿泊施設など、バリ島は世界で最も人気のある島の一つです。バリ島は、バックパッカーの若者から超富裕層まで、すべての訪問者にそのライフスタイルに応じたものを与えてくれます。ヒンドゥー教徒が多数を占めるバリ島は、イスラム教徒が多いインドネシアの他の地域とは対照的です。

地域[編集]

地図
バリ島の地域
バリ島の地域
  バリ島南部 (クタ, ブキット半島, チャングー, デンパサール, ジンバラン, レギャン, ヌサ・ドゥア, サヌール, スミニャック, タナロット寺院)
クタ・ビーチやシックなスミニャックなど、バリ島の中でも最も多くの観光客が訪れるエリアです。
  バリ島中部 (ウブド, ブドゥグル, タバナン)
島の文化の中心地であり、中央の山脈を含みます。
  バリ島西部 (ネガラ, ギリマヌーク, メデウィ海岸, ペムテラン, バリ島西部国立公園)
ジャワ島へのフェリーの発着港と、バリ島西部国立公園があります。
  バリ島北部 (ロヴィナ, シンガラジャ)
静かな黒砂のビーチと古都の組み合わせ。
  バリ島東部 (アメッド, ブサキ寺院, チャンディダサ, キンタマーニ, クルンクン, アグン山, パダンバイ, ティルタ・ガンガ)
のんびりとした海岸沿いの村々、活火山、そして雄大なアグン山
  バリ島南東部の島々 (レンボンガン島, ペニダ島, チュニンガン島)
南東部の静かな沖合の島々で、ダイビングで人気です。

知る[編集]

オダラン寺院の記念行列の準備作業

バリ島は、インドネシア群島にある18,000以上の島々(衛星画像による)のうちの一つで、ジャワ島の東端、ロンボク島の西端から2km強の距離にあります。400万人強の人口を擁するこの島の東西の長さは約144km、南北の長さは80kmです。

「パラダイス」という言葉がバリではよく使われています。フレンドリーで親切な人々、見た目も美しく精神的にも深い文化、そして素晴らしいサーフィンとダイビングができる壮大なビーチは、バリ島をインドネシアの観光地のトップに押し上げました。インドネシアを訪れる外国人観光客の大半は、バリ島以外のどこにも行きません。

この人気には暗い面もないわけではありません-かつての楽園クタは、ごちゃごちゃしたコンクリートの建物がひしめき合い、詐欺師や客引きたちは混み合う観光客から生活費を稼いでいます。島の人気はまた、2002年と2005年にテロリストたちのいらない注意を引いてしまいました。しかし、バリはその魔法を保持することができました。バリは、誰もが何かを得られる素晴らしい目的地であり、訪れる人々は多いけれども、あなたが静けさを見つけることができるスポットは必ずあります。

繁忙期には、学校の休日(年の真中と年末)中の国内観光客の増加に加えて、40万人以上の外国人観光客がバリに群がります。 幸いなことに、専門家たちによると少なくとも今後10年間は、ホテルの供給過剰によってこれらの観光客を全員、問題なくさばくことができるとのことです。このため、クタレギャンスミニャックの4つ星ホテルの部屋は1日あたり¥2000ちょっとで予約することができ、直前の予約だと1日あたり¥2000以下も可能です!

特にインドネシア政府によるビザなし政策のため、より多くの旅行者が訪問するようになると、この小さなリゾート地の島は、常に訪問者のための関心の中心であるエキゾチックな伝統文化と手つかずの自然の美しさを保持しながらも、いろいろな旅行者の興味に応えるため、より近代的なアトラクションや施設を提供する努力をしてきました。バリの中心部のビーチなどは高級化してきています。

バリ島は狭い道が多く、年間を通して渋滞が多発しており、特にクタレギャンスミニャック地区、デンパサール市内中心部、ガトット・スブロート・ティムール通り、ギャニャール県など東部へ向かう道で渋滞が発生しています。クタレギャンスミニャックの道路は一方通行になりました。一方通行とは逆方向に500mの道のりの場合、歩けば15分ほどで到着しますが、車だと30分ほどかかることもあります。飛行機に乗るまでの時間には十分に余裕を持ってください。

歴史[編集]

日没時のタナロット寺院(16世紀)

ヒンドゥー教が最初にバリに導入されたのは紀元前100年のことでしたが、今日のバリ島を訪れる人には明らかなように、その独特の文化は主に隣国のジャワからのもので、それにバリの遠い昔のアニミズムが組み合わされています。14世紀にジャワ王の首相であったガジャマダがベドゥルでバリ人の王を破り、ジャワのマジャパヒト帝国のバリ島支配は完成されました。

マジャパヒト帝国の支配の結果、ジャワ文化の最初の流入が起こりました。建築、ダンス、絵画、彫刻、ワヤン人形劇場などにおけるその影響は今日でも明白です。

このジャワのヒンドゥー文化を拒絶したごく少数のバリ人は、今日ではバリ・アガ(「原バリ人」)として知られており、今でもカンディダサ近くのテンガナンと、キンタマーニにあるバトゥール湖の人里離れた東岸にあるトゥルニャンの村に住んでいます。

インドネシア群島全体でのイスラム教の台頭に伴い、ジャワ島のマジャパヒト帝国は衰退し、バリは16世紀への変わり目ごろに独立しました。ジャワの貴族たちはバリ島に難を逃れ、それによりヒンドゥー教の芸術、文学、宗教のさらに強力な流入をもたらしました。

その後バリは数人のラジャ(王)の間で分割され、西ではイスラム教国となったジャワからの侵略者を撃退し、東ではロンボクへ手を伸ばしていましたが、1846年から1849年に渡る一連の血なまぐさい戦争により、島の北部は最終的にオランダの植民地主義者たちによって征服されました。バリ島南部は1906年まで征服されず、バリ島東部は1908年まで降伏しませんでした。1906年にも1908年にも、多くのバリ人は不名誉よりも死を選び、しばしばオランダの大砲や銃に向かって突撃し、集団で最後まで戦いました。

このような自殺的な死闘は「ププタン」と呼ばれました。ププタンのイメージが国際社会においてオランダ人の大きな汚点となったため、オランダにとってこの勝利はほろ苦いものとなりました。これを補うためか、オランダはジャワ島でのようにバリ人を強制的に「文明化」することはせず、代わりに「バリのバリ化」という政策により、バリ文化の振興を図ろうとしました。

1945年、バリ島は新たに独立したインドネシア共和国の一部となりました。1965年のクーデター(9月30日事件)をきっかけに、インドネシア全土に反共産主義者の暴力が広がりました。バリ島では共産党狩りの犠牲者で川が赤く染まったと言われています。死者数は約8万人と推定され、当時のバリ島の人口の約5%に相当します。

バリ島の歴史の中で最も新しい章は、1970年代にヒッピーやサーファーたちがバリのビーチや波を発見したことから始まり、観光業はすぐに最大の収入源となりました。2002年と2005年に起きたテロ攻撃のショックにもかかわらず、バリ島には今もなお多くの人が集まり、バリの文化は相変わらず素晴らしいものです。

文化[編集]

どこにでもある供物カナンサリー

イスラム教徒が多いインドネシアの他のほとんどの島々とは異なり、バリはヒンドゥーの宗教と文化の地です。バリ人の生活のあらゆる面に宗教があふれていますが、最も目につくのは、バリ人の家、職場、レストラン、お土産屋さん、空港のチェックインカウンターなどで見かける小さな「お供え物」(カナンサリー)です。この葉っぱのお盆は毎日作られ、花、もち米、クッキー、塩、タバコやコーヒーなど、様々なお供え物を入れることができます。お線香を焚いてお供えし、1日3回以上食事の前に聖水をかけます。うっかり蹴ったり踏んだりしないよう気をつけましょう。

バリのヒンドゥー教は500年以上前に主流から分岐し、あなたがインドや他の南アジアの国々で見るものとはかなり異なっています。主神はシャンヒャン・ウィディ・ワサ(アシンティア)と呼ばれる「全部入りの神」で、ヴィシュヌやシヴァのような他の神々はこの主神の仮の現れに過ぎないとされています。直接示されるのではなく、儀礼的な「テドゥン」の傘で保護された、黒と白のチェス盤の模様が特徴的な「ポレン」に包まれた空の玉座として描かれます。

ポレンテドゥンの傘に飾られた空の玉座としてのアシンティア、ウブド

バリ人は彫刻の名手である。寺院や中庭には、米と豊穣の女神デウィ・スリ(Dewi Sri)のような神々や女神の像や、棒で武装した歯の生えたラカサ(Rakasa)のような悪魔を守る守護者の像がたくさんあります。しかし最近では、バトゥブランのような村は観光客向け商売の可能性に気づき、仏陀の像からアクロバティックなポーズで絡み合う男女の像まで、あらゆるものを輸出・土産品市場に向けて生産しています。

バリのダンス音楽も同様に有名で、島を訪れる観光客にとって大きな魅力となっています。隣国のジャワと同じく、ガムランの演奏と影絵芝居(ワヤン・クリット)が盛んです。踊りは非常に視覚的でドラマチックなもので、最も有名なものは以下の通りです。

  • バロンまたは獅子舞 — 善と悪の戦いを描いた儀式的な踊りで、恐ろしいライオンのような仮面をつけています。この踊りは視覚的にも華やかで、ストーリーも比較的簡単に理解できるため観光客向けに上演されることが多いです。バロン踊りの上演を見つけるのは難しいことではありません。
  • カロナラン — 黒魔術と戦い、魔女の女王ランダと結んだ悪霊を追い払う壮大な物語です。この物語には多くのバリエーションがあり、2つのカロナランが同じであることは稀です。本物のカロナランの上演に当たれば、本当に不思議な体験をすることができます。
  • ケチャまたは猿の踊り — 実際には1930年代にドイツ在住の芸術家ウォルター・スピースが映画のために考案したものですが、それにもかかわらず圧巻です。最大250人のダンサーが同心円状に並んで「ケチャ、ケチャ」と唱え、中央のパフォーマーがスピリチュアルな踊りを披露します。特に人気の高いケチャはブキット半島のウルワツ寺院で毎日上演されています。
  • レゴン・ケラトン — バリ舞踊の中でも最も有名で名高い踊りです。若い女の子たちによって演じられるこの踊りは、12世紀のジャワ島に由来する神の精霊たちの踊りです。本物の、ノーカットのレゴン・ケラトンを探してみてください。観光客向けのレストランやホテルでよく見られる短い上演は、通常、レゴン・ケラトンからの抜粋です。

祭りと祭儀[編集]

完全沈黙の日

ニュピはバリの人々にとって非常に特別な日で、この日は悪霊を騙してバリには誰も実際にはいないということにしなければならないので、みな沈黙しなければなりません。もしこれに成功すれば、悪霊は他の場所に獲物を探しに行き、一年間はバリを放置してくれると信じられています。バリの人々は非常に宗教的で、生活は儀式に満ちています。ニュピはサカ暦の元日で、一年のうち最も重要な日の一つです。病院などの緊急窓口だけは開いていますが、すべての入国手段はストップし、屋外には文字通り誰もいなくなり、屋内で誰かが何かをしているところも見えなくなります。見ていると、旅行や仕事と同様、火気(料理)、娯楽、電気はオフにしなければならないようです。その代わり、彼らは日の出から翌日の日の出まで黙想します。

ホテルでは、あなたが屋内でできることにいくつかの例外を認めてくれるかもしれません(そしてあなたの部屋の中までチェックしないかもしれません)が、少なくとも、あなたはほとんどの時間を部屋で過ごし、すべての騒音や照明を最小限に保つように求められるでしょう。

ニュピはまた、バリ人が日常生活の中で寛容さと理解の必要性を思い出させる役割を果たしています。 実際、バリのヒンドゥー教は昔からのバリの精霊信仰に織り込まれているためユニークなのです。バリ人にとってこの2つの信仰は今では一つになっていて、そのことは寛容さと受容の証左となっています。

ニュピの日:

  • 2019年3月7日
  • 2020年3月25日
ニュピ前日のオゴオゴの行列

島には推定20,000の寺院(プーラ)があり、それぞれの寺院で少なくとも年に2回は祭り(オダラン)が開催されています。年間を通して多くの縁起の良い日があるので、常に祭りが行われています。

島全体の大規模な祭りは、2つのローカルカレンダーによって決定されます。 210日周期の「ウク」または「パウコン」の暦は西暦とは完全にずれているので、祭りやイベントの日付は毎年大きく移動します。太陰暦のサカ歴は西暦にほぼ沿っています。

  • 葬儀(ピトラ・ヤドニャ)は死者(多くの場合、一度に数人)を豪華で色鮮やかな祭式で火葬する壮麗な儀式です。
  • ガルンガン は210日ごとに行われる10日間の祭りで、暴君マヤデナワの死を祝うものです。神々や祖先が地上を訪れ、「ペンジョル」と呼ばれる贈り物を積んだ竹の柱が道に並び、出迎えられます。祭りの最終日は「クニンガン」と呼ばれます。
  • ニュピは、完全沈黙の日としても知られるヒンドゥー教の新年で、通常3月か4月に祝われます。ニュピのからバリにいる場合は、すべての地域コミュニティー(バンジャール)によって作成されている驚くほどカラフルな巨人の山車(オゴオゴ)を見ることができます。ニュピの前夜にはオゴオゴが通りを練り歩き、それは息をのむような見逃せない光景です。

ニュピを避けるべき理由もあり、多くの旅行者にとっては、このユニークな年に一度の祭りを体験できるということよりも、これらの理由の方が重要でしょう。空港やフェリーの船着き場を含め、新年の6時から翌朝の6時までの間は、島のあらゆるものが閉鎖されますが、緊急サービスだけは必要に応じて出動します。観光客はホテルに拘束され、その日はできるだけ静かに過ごすことが求められます。外を出歩くと地域の警察に咎められることがあります。ニュピの正確な日付は毎年変更され、前年の遅くになるまで決まらないため、飛行機は予約しておき、必要に応じてキャンセルや移動する必要があります。これはまた、すべての旅行の手配を変更しなければならないことを意味します。

インドネシアのすべての祝日はバリでも有効ですが、ラマダンは他のイスラム教徒の多い地域のように盛大には行われません。

読む[編集]

気候[編集]

バリ島東部の田んぼ、背景にアグン山

日中の気温は快適で、年間を通して20-33⁰ Cの間で変化します。12月から3月までは西季節風が激しい雨と高い湿度をもたらすことがありますが、雨は昼遅くか夕方から降り始めてすぐに通り過ぎてしまうため、日中はまだ晴れていることが多いです。6月から9月にかけては湿度が低く、夕方にはかなり涼しくなります。この時期、低地の沿岸部ではほとんど雨が降りません。

バリ島のほとんどの地域で雨が降っていても、他のどの地域よりもはるかに雨が少ないブキット半島では晴れていて乾燥した日を楽しむことができます。一方、バリ島の中心部や山間部では、一年のうちいつでも曇り空や夕立に出会うことがあります。

ブドゥグルやキンタマーニなどの標高の高い場所では打って変わって肌寒くなるので、日が沈んだ後はセーターや上着が必要になります。

タイムゾーン[編集]

バリ島はUTC+8を用いており、西オーストラリアクアラルンプールシンガポールフィリピン中国台湾と同じで、ジャカルタより1時間進んでいます。

電気[編集]

電気は220V、50Hzで供給されます。コンセントはヨーロッパ標準のCEE-7/7または無接地のCEE-7/16タイプです。

話す[編集]

現地の人々の母国語はバリ語で、インドネシア語とは関係がありますが相互に理解はできません。事実上、すべてのバリ人はバリ語とインドネシア語のバイリンガルなので、バリ語を学ぶことはコミュニケーションをとる上で必須ではありません。しかし、地元の人たちは自分たちの言語に誇りを持っているので、観光客がバリ語を話す努力をすれば地元の人たちは暖かく迎えてくれるでしょう。観光地では、英語やその他いくつかの外国語が広く使われています。

移動する[編集]

観る[編集]

ブドゥグルのブラタン湖にあるウルンダヌ寺院の一部。11層の「メル」に注目してください。

寺院[編集]

バリ島で最もよく知られている観光スポットは、数え切れないほどのヒンドゥー教寺院です。 各村は慣習法によって、少なくとも3つの寺院を建設し維持することが義務付けられています:村の清浄な側にあるプラプセ(起源の寺院)、地域の日常的な活動のためのプラデサ(村の寺院)、そして不浄な側にあるプラダレム(死者の寺院)です。裕福な村では、これら義務づけられた3つ以外にも寺院がある場合もあり、また、すべての屋敷には何らかの性質の寺院があります。

9つの指導的寺院 (kayangan jagat)は最も大きく最も顕著な寺院です。これらの寺院はバリ島の重要な場所にあり、闇の力から島とその住民を守るために置かれています。バリ島の南端にあるウルワツ寺院はアクセスが簡単なので、タナロット寺院と同様、非常に人気があります。

バリ人にとって、アグン山の斜面上のベサキにある「母なる寺院」が最も重要で、9つの寺院の上に鎮座しています。他の7つの重要な寺院はブドゥグルのウルン・ダヌ・ブラタン寺院、キンタマーニのウルン・ダヌ・バトゥール寺院、アグン山のパサール・アグン寺院、ティルタガンガのランプヤン・ルーフル寺院、チャンディダサのゴアラワ寺院、クルンクンのマセティ寺院、タバナンのルーフル・バトゥカル寺院です。これらはいずれも険しい山中か水辺にあり、このことは闇の力の発生源についてのバリ人の考え方をはっきりと示しています。

バリの寺院のデザインは複雑なテーマであり、多くの訪問者を困惑させます。地域の地理がデザインに基本的な影響を与え、2つの寺院が同じであることはほとんどありません。装飾的なものであれ構造的なものであれ、目にするすべてのものには、地上的なものであれ精神的なものであれ、特定の機能があり、よく考えられています。しかし、寺院の大多数に共通する一般的な要素は3つの庭、ジャバ(外庭)、ジャバ・テンガ(中庭)、ジェロアン(内庭)です。これらの庭のそれぞれには、様々な構造物や重要度の異なる神社が含まれています。

寺院で見かける黒い茅葺きの屋根はヤシの繊維でできており、寺院以外では屋根にこの素材を使うことは許されていません。優雅なパゴダのような層状の構造は、それ自体がメル(神々の故郷である神聖なメル山にちなんで名付けられた)と呼ばれ、最もドラマチックなものでは11段もの層で構成されていることもあります。階段の数は常に奇数です。

典型的なバリ寺院の建物の配置

寺院の入り口は、常に敷地のアグン山とは反対側(ケロッド)にあります。これは、人間と地上のすべてのものの領域であるジャバにつながります。ジャバには小さな神社しかありませんが、お祝いのダンスが行われる場所であり、特別な儀式の際には屋台が設置される場所でもありす。寺院のこの部分は非ヒンドゥー教徒の観光客でもほぼ常に訪問することが許可されています。

カンディ・ベンタールと呼ばれる通路は、ジャバ・テンガと呼ばれる中央の中庭につながります。これは地上の領域と神々の領域の間の中間点であり、毎日の供物がパオンと呼ばれる開放的な建物で準備される場所です。 ジャバ・テンガには通常ワンティランと呼ばれる大きな建物があり、特別なダンスのために使われます。

コリ・アグン門は、神聖なエリアであるジェロアンに通じています。ここには色々なヒンドゥーの神や女神のための社があり、深刻な儀式や祈りが行われる場所です。社には多くの種類がありますが、通常は最高神シャンヒャン・ウィディ・ワサの玉座であるパドマサーナが含まれています。この区画にある大きな建物はゲドン・パリマンと呼ばれ、儀式の間に神々が訪れることができるように、常に完全に空のままにされています。寺院により、またすでに行われたりこれから行われる儀式によって、適切な服装の訪問者は中に入れることもあれば、入れないこともあります。

事実上すべての寺院で見られる最も一般的で実用的な建築的特徴は「ベール」と呼ばれる見晴らし台の建物です。それぞれの建物には、高い位置にある座席とアランアラン(草葺き)またはタリ・ドゥック(黒ヤシ繊維葺き)の屋根があり、無数の社交的な機能を備えています。ベールはガムラン楽団が座る場所として、村の集会所として、ダンスパフォーマンスを行う場所として、あるいは単に礼拝者のための休息の場所として使われます。伝統的な寺院建築のこの部分は、島中のホテルや世界各地のホテルで真似されています。バリの至る所で見られる開放的な草葺きの建物は、すべてこの寺院のオリジナルデザインに由来しています。

お寺に入るときはサロン(腰に巻きつける衣類)と帯を付けなければなりません。これらは多くの観光客がやってくる大寺院では常にレンタル可能ですが(入場料を払っている場合は通常含まれており、そうでない場合は1セット数千ルピア)、バリに到着したときに1セット購入して、訪問中ずっと使用するのが良いでしょう。

風景[編集]

バリ島の海岸線のほとんどは、ある種の砂浜から成ります。例外は、南東部のマングローブ林がある地域と、高い崖がインド洋の荒波から切り立つブキット半島のいくらかの部分のみです。

バリ南部のレギャンの砂浜

島が火山であることを考えると、当然ながら黒砂が標準ですが、南部には細く白い砂を持つビーチもいくつかあります。ジンバラン湾と北海岸のほぼすべてのビーチでは安全に泳ぐことができます。しかし常に安全についての掲示に従ってください—これらの掲示を無視したため溺死する旅行者は毎年あとを絶ちません。また、人気のあるバリ南部のビーチは、時によってはあまりきれいではありません。大雨が大量の土砂やゴミを海に流し出す雨季の盛り(12月〜1月)には特にそうです。

海岸から離れれば、バリ島は緑豊かで肥沃な土地が多く、農地はほとんどを水田が占めます。一部の地域では、水田はドラマチックな棚田となっていて、すべての土地を効率的に利用しています。特に美しい棚田は島の中央部のウブド北部やバリ東部のティルタ・ガンガ周辺に見られます。その他の場所ではなだらかに連なる田んぼが広がっていて、気持ちの良い田園風景を作り出しています。田んぼを周るツアーもいくつかあり、田んぼが美しい地域のうちのいずれかにあるリゾート・ホテルへの宿泊も含まれています。

バリ島のすべての山は火山であり、長い間休眠中のものもあれば、今も活動しているものもあります。バリ島東部の風景を支配する壮大なアグン山(3,142m)は1963年以来噴火していませんでした。しかし2018年末にアグン山は噴火し、2019年8月現在も活動中のため、火口縁から半径4kmの立入り禁止区域が設定されています。さらに活発なのはキンタマーニのバトゥール山で、常にくすぶっており、定期的に大きな爆発と火山灰からなる噴煙を引き起こします。バトゥール山には2時間で登ることができ、インドネシア全体でも最もアクセスしやすい活火山の一つです。

芸術[編集]

バリでは、伝統的なものから現代的なものまで、あらゆるところにアートが溢れています。ウブドは島における芸術の中心地で、いくつかの美術館があり、様々なワークショップや小売店があります。ウブドの美術館には地元のアーティストの作品が展示されているだけでなく、バリに強い親近感を持っているか、この島を永住の地としている多くの外国人アーティストの作品も展示されています。

記念碑[編集]

現代世界の悲しい記憶を残すクタのレギャン通りにあるバリ爆弾記念碑は、2002年10月に起きたバリ爆弾テロの犠牲者202人を追悼するために建てられました。爆破事件で消失したかつてのサリ・クラブの跡地はこの記念碑に隣接しており、再開発はされていません。

20世紀初頭のオランダ植民地主義者に対するバリ人のププタン(自殺的闘争)の記念碑もいくつかあります。バリ島東部のクルンクンの町の中心部にあるものと、デンパサールのププタン公園にあるものの2つが最も有名です。

食べる[編集]

  • 1 Warung Padi Bali24時間営業
  • 2 Angkringan Setemoe7時~21時
  • 3 Rumah Makan Bidadari 外部リンクJl Raya Denpasar Gilimanuk Desa Banyubiru, Kaliakah, Negara, Jembrana Regency, バリ 82218 インドネシア +62812393096024時間営業。 「お手頃なインドネシア料理店。